top profile Live Information Live Movies discography contact store

最近のコメント

Powered by
Movable Type 3.35

« 哀しみこそが人生の彩り | メイン | 奉納絵馬を見てみれば・・・ »

それでも偶然の啓示に頼りたくなるもので・・・

こんなことはないだろうか?自分の心の中だけでは解決できない問題を抱え、ああでもないこうでもないと思い悩んでいる時に、近くにある本を手にとって開いてみると、

そこにはまるで計ったかのように、自分の問題を解決するのに答えとなること、又は、ヒントとなる事が書かれてあり、救われたと思うのと同時に、この世を司る絶対的な存在があるのではないかと感じること・・・

しかし、この現象は絶対的存在、つまり「神」がいなくても、充分起こりえる説明のつく現象であることに気づく。

まず人の悩みは千差万別と言えども、悩みの根幹になるものはいつの時代であっても、誰であっても、普遍的な問題であったりすることが多い。又、答えを求める姿勢でいる時に入ってくる情報は自分にとって都合の良い解釈をしてしまうものである。

これらの要素から、目に入ってくる情報をすでに自分の中に存在する何らかのフォーマットに重ねあわせる事で、人は偶然から答えを導き出したと思いたがるところがあると思うのだ。


では、なぜ偶然から生まれた、というか、何かによって導き出された答えにすがろうとするのか?

思うに、「悩み」、「問題」が持っている様々な条件や可能性を考えると、一つの答えを出すことは難しく、時には真逆の解決方法が浮かんで来てしまうのが常だからではないだろうか?そもそも「悩み」というのは、解決方法が絞れない事が前提になっているからこそ「悩み」と呼ばれるのだと考えると、それは当然の事ではある・・・

だから、「神」と言う名の偶然にすがる事で背中を押してもらいたいのかもしれない。片方の解決策を捨てて、もう片方を残す。これは理屈では難しい。

こうしたプロセスを踏まえると、偶然に得た情報を神の啓示だと考えて、それにしたがう事が大変愚かしく滑稽だと思えて来るかもしれない。しかし、それが分かっていても、偶然から生まれた啓示を、信じたくなってしまうのも、又、人間らしいと言えば人間らしいこと。

結局、最後は自分の取った選択を無理やりにでも信じ、そこに自分のストーリーを作ってゆくしかないのかもしれない・・・まぁいずれにしてもだ。


最後に、自分の好きな作家山本周五郎の著書から名言を選りすぐった本「泣き言はいわない」のページをランダムに開けてみようと思う。アナタなら今日ここで偶然に出会ったこの言葉に何を感じるだろうか?


この世で起こる出来事の多くは、しばしば計算からはずれるものだ。
人間が生きものであり、世の中が生きて動いているからだろう。

~山本周五郎『ながい坂』より


”夢で逢えたら ” シリア・ポール

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://amorfati.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/1310

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)


oneheart02.gif
samurai.gif

1st album